大熊ワタル気まぐれ日記:2005-06-13


2005年06月13日(月) 東地中海・旅日記(その1)

6月13日
 夕方羽田発関空経由ドバイへ。飛行機はJALと提携しているエミレーツ便。
 関空まではJALのそれこそ通勤バスのようなエアバスだが、関空からは機体もエミレーツ航空。女性乗務員が帽子にベールをあしらっていてそれっぽい。最近の旅行通のあいだでは制服や機内サービスなどで人気を呼んでいるらしい。ちなみに「エミレーツ」とは「首長国」。「UAE」の「E」だ。機内食はまあまあ、だが機内ラジオのソフトの充実振りには驚いた。
 アラブ圏の音楽は言うに及ばず、南アジア圏(ヒンズー語圏と、ウルドゥー語圏=パキスタン)、東南アジア(タイ、フィリピン)、中国語圏、そして日本など、さまざまなエリアの音楽をカバーしている。
 タイ、フィリピン、広東語、日本の各チャンネルは耳障りなペラペラしたポップスのみだが、アラブ圏と南アジア圏はクラブっぽいビート音楽と、どっしりした伝統音楽の複数チャンネルを揃えている。メインの客筋のエリアなのだろう。また当然コーランのチャンネルもある。僕も「アラブポップス永遠のビッグスター10人」みたいなチャンネルで、シェブ・ハリドやフェイルーズ、ウマム・クルスームなどを堪能した。この、それぞれがベストヒットみたいな独立したチャンネルがあるのだ。(なかでもフェイルーズはどの曲も最高!早死にして残念!帰路はウルドゥーチャンネルでヌスラット・ファテ・アリ・カーンのカッワーリーを子守唄に…。)
 それから、洋楽の品揃えも半端じゃない。実はこちらのほうが驚かされた。50年代から1年ごとにベスト10(たしかNME誌選定)がすべて聴けるし、アーティスト別のベストセレクトと、それとは別に著名アルバムも、それぞれ100タイトル以上ある。
 10CC(大ヒットを出した分裂後ではなくオリジナルメンバーによる前期のセレクト)だとか、ベルベットアンダーグラウンドなど、かなり通好みのアーティストもとりあげられていた。
 かなり年季の入ったロックファンでも何度乗っても退屈しなさそうだ。欧米人向けのセレクトなのか、オイルマネーでロックファンが増えているのか、よく分からないが、僕も、あの曲、この曲、とついつい聴き続けてしまった。

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2005年06月13日(月) 東地中海・旅日記(序)

 6月、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットの一員として、ピースボートの世界一周クルーズの一部区間=東地中海=に水先案内人として参加してきた。
 ピースボートはその名の如く、平和を求めて民間交流をすすめるNGOであるが、その一方、クルーズも次第に大型化して、扱う客の人数も金も結構な額になってきた立派な営利団体でもある、という不思議な組織である。
 が、ソウルフラワーとは、神戸の震災時、もっとも早く動いたNGOとして、固い信頼で結ばれていて、クルーズの水先案内人もこれで何度目になるだろうか。個人的には97年の東南アジアクルーズ以来の2回目だが、バンドとしては4〜5回目くらいだろう。
 僕の知る運動関係は、たいてい狭い世界の中でどんよりした空気に支配されていることが多いのだが、ピースボートは、(運動関係と言っていいのかどうか、別としても)いつも若い人たちが屈託なく頑張っていて気持ちよい。今回も多くの若い衆が張り切って動いていた。もっとも、乗船客としては、10代〜20代の若者と、50代以降のシニア層に大別され、その間の層はほとんどないない。 
 船は、前回はロシア船籍のボロ船で揺れまくりで閉口したが、今はパナマ船籍の、古いけど(建造後50年弱)シックないい船だった。
 それでは、はじめに自分の行程を記しておこう。
・まず羽田〜関空〜ドバイ空港(UAE)〜アンマン(ヨルダン)の空路。
・そしてアンマンで、パレスチナ難民キャンプを訪問し、ライブ演奏。
・そして、ヨルダン渓谷から死海を経て、本船の待つアカバで船に合流。
・シナイ半島沿岸を回ってスエズ運河に。
・運河を通過し、地中海側の港・ポートサイードから日帰りでカイロ散策。
・帰船し、地中海を縦断、ギリシャのピレウス港へ。
・アテネ観光の後、さらに航行を続ける船を見送り、空路帰国。

[link:14] 2005年08月25日(木) 04:52