大熊ワタル気まぐれ日記


2004年12月22日(水)@京都・拾得

 いうまでもなく京都最古のライブハウス拾得。
 「じっとく」では変換しない。寒山拾得も駄目。情けないパソコンだ。
 いかにも昔からの京都らしい、落ち着いた横町にある蔵造りの建物。通りの街灯も明るすぎず、よけいな看板もあまりない、タイムスリップを誘う環境。駅からちょっと遠いがアプローチから楽しみたい小屋だ。
 楽屋は靴を脱いで木の階段を登った屋根裏部屋。畳敷きで最高にくつろげる。その壁には70年代のポスターが所狭しと貼ってある。どれも埃をかぶってるが、シルクスクリーンの大判ポスターには、上田正樹とか裸のラリーズとかめんたんぴんとか。横尾調のデザインが当時を物語っている。
 チャージが300〜400円というのもすごい。今でいえばいくらくらいだろう。
 出来たての「音の力」をマスターのテリーさんが買ってくれた。今回、三池・大牟田関連の記事があるのだが、出身地だということで、関心をもたれたようだ。
 そのうちテリーさんにもじっくり話しを伺うことにしよう。

 さて、パギやん4デイズ、京都のゲストはふちがみとふなと。
 いろんな小屋でこの二人を見てきたが、この拾得のステージが一番はまってるように思う。ここの座敷席でふちがみとふなとを楽しむ・・・。何という贅沢な空間・時間だろう!
 こんな二人、世界中ほかにいない。
 こんなライブハウス、世界中ほかにない。

 そして、この二人と入り混じった後半の流れは最高に楽しかった!
 これだから止められないのだ!

<追記>
 近所の定食屋(これがまた地味渋でいい感じ。老夫婦がやっていて旦那は「いとこい」のいとしさんみたいなおじいさん)で木の葉うどんを食べていたら、ニュースの音声が耳に引っかかってきた。
 「〜県警の失態が死因に結びついたと認定〜」とかなんとか。
 ん? と振り返ったら、神戸商船大院生・浦中君の事件でお母さんが起こした国賠訴訟の一審判決完全勝訴の知らせだった。よっしゃ〜! 県警は控訴なんかするなよ!

[link:5] 2004年12月26日(日) 04:13


2004年12月23日(木)三宮AMZ

京都から神戸へ。
 新聞は各紙とも1面で浦中君事件の訴訟地裁判決。まずは県警の責任を全面的に認めていてよかった。このタイミングなので、翌日、浦中家に伺って線香でも上げられないか…。お母さんには「ゴーストサーカス」はお渡ししてあるが、まだ直接ご挨拶もしてないし。だが、お疲れだろうしやはり遠慮すべきか。
 さて、パギやんの年末ツアーもいよいよ楽日。神戸のゲストはおーまきちまきさんとのむらあきさん。被災地のライブではよく「対バン」だった。ほっこりしたナチュラルな歌だったよな・・・、とそんな記憶が、リハで吹っ飛んだ。自分だけでなく、パギやん、矢野さん、みんな楽屋で「え?」と絶句。歌の芯にみなぎるものが溢れていて圧倒される。
 以前がしょぼかった訳では全然ないのに、何とすばらしく伸びていることだろう。おめでとう!
 言葉尻だけでいうと、きわめてシンプルな人生の応援歌といえるようなものなのだが、歌ははやっぱり声だ。
聴き取る間もなくストレートに言葉が中まで飛んでくる。暴力ではない強いもの、歌の力を再認識した。
 さて、おーまきさんのパワーに乗せられて、調子に乗っていきたいところだったが、本番のころになると体が妙な具合。なんだか熱っぽい。風邪か? 集中するのにも一苦労で前半は苦戦。それでも、おーまきさんの登場する後半から、なんとか気合いでうっちゃって乗り切る。
 しかし、打ち上げは遠慮してホテルに直行。

[link:7] 2005年01月06日(木) 06:31


2005年01月14日(金) どこが公共放送だ?

NHKのETV2001「女性国際戦犯法廷」内容改変に関して内部告発。
翌日のニュースは最低だった。
政治家の意見ばかりではなく、市民の側、視聴者の側に立った報道を忘れないでほしい。
今までも特に期待していた訳でもないのに、こんなカマトトぶったことを言わずに居れないのは、与党幹部に事前説明していることをさも当然のように棚に上げ、ただ朝日の記事にキャンキャン吠え立てていることだ。
これは報道の自殺ではないのか。
内部告発が仮に間違った要素を含むとしても、番組が土壇場で主旨を大きく後退させ、政府におもねった内容になったのは紛れもない事実だ。
繰り返します。
心あるNHK職員は報道の初心を思い出してほしい。

[link:9] 2005年01月24日(月) 06:08


2005年01月15日(土) いざ神戸へ!

朝9時からソウルフラワーの河村博らと車で移動。ほかにソウルフラワーで最近ベースを弾いているJIGEN君のユニット桃梨の二人が同乗。ボーカルのみほちゃんは初めて会ったが、なかなかぶっ飛んでて面白い。
夕方、大阪へ。ソウルフラワーの根城に向かう車と別れ、自分はさらに三宮に向かう。翌日の「つづら折りの宴」は午前中から始まるし、せっかくなのでBIGAPPLEで吹き初めすべく、ふちがみとふなとに押しかけゲストを申し出てあった。
前半は客席から見物。何度も来ているBIGAPPLEだが、客席で聞くのは初めてかも。何だか新鮮な眺めだ。
ステージは、とぼけたように思わせておいて、最初から気合いの入った選曲。
水爆に怒っているまぐろの歌、これは誰のオリジナルだっけな?
でも、すぐに関節はずしで笑わせてリラックスさせる。さすがだ。
1曲だけ、歌がグラグラと妙に揺れるのがあって、どうしたのかと思ったら、大原裕の曲に歌詞をつけたものだった。
大原、いえぃ!じゅんちゃん泣かしやがって、いえぃ!
後半のゲストコーナーでは、ちょっとはしゃぎすぎて音数が多すぎたかもしれない。まだまだ青いな、自分。
だってふたを開けてみたら、新年早々Walking on the wildside ほか、ご機嫌なことこの上ない選曲なんだから無理もないが。

終演後、ふちふな他京都組をを早々に見送り、お客の倉本君やマスターの近藤さんらとしばし談笑。倉本君から広島備後地方の濁り酒の差入れがあり、全員でびりびりした。
最後に近藤さんら近所の人たちとラーメン屋へ。神戸は、そこかしこにうまい店があり、東京とくらべたら天地の差だ。そこも、どうという店でもないが、そこそこのレベルだ。
さて、ラーメンの湯気の向こうで酔眼を遠慮がちにちらちらさせながら、近藤さんが被災地復興イベントにボランティアでやってくる僕の酔狂さ?にちくちくと疑問を投げてくる。
近藤さんもちろん被災者だ。店ではいつもダメダメオヤジの顔になってるけど、店を維持するための努力は並々ならぬものであるにちがいない。その彼がいつも応援してくれている僕が、ノーギャラ・自腹で来ている。何なん?
まあ、分からなくもない。地元からすれば、年に一度の震災報道や、押しかけてくるおせっかい、違和感もあるに違いない。また実際、しょうもない企画、勘違い野郎も掃いて捨てるほどあるだろう。
お前は何者か? 
ここで、年寄り、しょうがい者、弱者ほど、いつまでも取り残されてる・・・といったスタート長田の取組などは、取りあえずおいておくと、僕は基本的には自分のために来ている。もちろん、スタート長田の立ち退き問題は応援したいし、自分の演奏がちょっとでも役に立てば文句なしだ。でも、頼まれて来ているというよりは、ここで吹きたいから来ている、というしかないかな。
90年代後半、幾度となく大勢の人々と、すばらしい風に吹かれながら演奏の場をともにしてきた。そこで僕は、かたちにならない大きなものをもらってきた。だから、神戸で顔なじみなった人々、久しぶりの人、街並み、六甲の山々、そのすべてに年始回りにきたのだ。そのためなら、10年という区切りも悪くない。

[link:10] 2005年01月24日(月) 06:15


2005年01月16日(日)

 ずい分時間が経ってしまったが、なんとか少しづつ片付けていこう。
 1月16日のつづら折りの宴、17日の神戸市役所前(追悼と抗議の集会)、いずれも凛とした空気のなか、気持ちのよい時間を過ごすことができた。
(両イベントのレポートは「インパクション」145号にも書いた。http://www.jca.apc.org/~impact/magazine/impaction.html
 つづら折りは震災後1年の96年以来9年ぶり。僕はそのときはまだモノノケに合流する前だったので、今回が初めて。
 ではあるが、90年代後半、何度も何度も神戸のいろんなイベントで出会った人々(スタッフやミュージシャン)に再会して、まるで同窓会のようだった。(といっても同窓会なるもの、いまだかつて出席したことがないのだが)
 だいたいモノノケで演奏すること自体、2年ぶりくらいかな?
 ほかにも、小嶋さちほさんや、山口洋、リクオ、などなど、懐かしい顔がそろっていて楽屋は大賑わいだ。
 もちろん、それだけで終わったら話にならない。みんな、短い持ち時間ながらやることはびしっと決めていた。
 僕はモノノケ以外にも、おーまきちまきさんやチンドン通信社にも参加。とくに開演前のちんどん街回りは、街と直接交感するような楽しい時間だった。
 遠くに六甲の主峰が見えている。あの辺で大原が眠っているはずだ。お〜い、来たで。聞こえてるか?

[link:11] 2005年03月22日(火) 04:46

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