こぐれみわぞうのプチ日記:2005-01-23
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2005/01/23(sun)
浅草で長田を思う
浅草にある実家のお墓に親がお参りに行くとのことで、合流すべく朝から出かける。
駅から歩く道すがら、あまりに寒くて、神戸の震災のときもさぞ寒かったのだろうと思ったら、ふと「満月の夕」がアタマの中で流れ始め、歌詞を追ってるうちに突如、愕然としてしまった。
今まで何度となく演奏し、耳にしてきたはずのこの曲の歌詞のひとつひとつが、初めてリアルに感じ取れたのだ。
もちろんこれまで、何も感じなかったわけではなく、被災地に行き、被災した人から話を聞き、少しずつその実感を受け止めてきていたはずだった。更には想像力で、ある程度はわかっていたつもりになっていたかもしれない。ところが、浅草の街を寒さに身を固くしながら一言一言追っているうちに、その歌詞の意味するものがまるごと手にとるように伝わってきたのだ。まるで一枚ずつベールがはがされ、今まで見えなかった細かい模様まで見えたかのような、膝を打つほどにクリアに把握できる謎解きの瞬間のようだった。きっと長田で生まれたこの曲を、長田で演奏できたことが大きかったのだろう。
「満月の夕」は日本が生んだ、20世紀最後の名曲だ。こんなに素晴らしい歌は世界中に指折り片手で数えるくらいしかない。
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2005/01/26(wed) 12:07
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駅から歩く道すがら、あまりに寒くて、神戸の震災のときもさぞ寒かったのだろうと思ったら、ふと「満月の夕」がアタマの中で流れ始め、歌詞を追ってるうちに突如、愕然としてしまった。
今まで何度となく演奏し、耳にしてきたはずのこの曲の歌詞のひとつひとつが、初めてリアルに感じ取れたのだ。
もちろんこれまで、何も感じなかったわけではなく、被災地に行き、被災した人から話を聞き、少しずつその実感を受け止めてきていたはずだった。更には想像力で、ある程度はわかっていたつもりになっていたかもしれない。ところが、浅草の街を寒さに身を固くしながら一言一言追っているうちに、その歌詞の意味するものがまるごと手にとるように伝わってきたのだ。まるで一枚ずつベールがはがされ、今まで見えなかった細かい模様まで見えたかのような、膝を打つほどにクリアに把握できる謎解きの瞬間のようだった。きっと長田で生まれたこの曲を、長田で演奏できたことが大きかったのだろう。
「満月の夕」は日本が生んだ、20世紀最後の名曲だ。こんなに素晴らしい歌は世界中に指折り片手で数えるくらいしかない。