こぐれみわぞうのプチ日記:2005-01-17


2005/01/17(mon) 神戸に、被災地に、たくさんの幸あれ

朝起きてみると外はやわらかな雨、今日は一日お天気が悪いのかと思っていたら、急に明るい日差しが差し込んできたが、それでも尚、雨はやわらかく降り続け、結局そんなお天気雨がお昼過ぎまで続いた。

イタリアンのランチを食べてから明石へ。神戸商船大学の大学院生だった浦中邦彰さんのお母さんに会いに行く。浦中さんは3年前の3月、あまりにもひどい形でその後の人生を奪われたのですが、そのお友だちがシカラムータの熱心なリスナーさんでいらっしゃり、浦中さんにもシカラムータを勧めてくださったとのこと、浦中さんも気に入ってくださっていたそうで、そうしたお話を伺ってから生まれた曲が「ゴースト・レクイエム」で、それ以来、一度御仏前にごあいさつに伺いたいと思っていたところ、今日やっとお会いできる機会に恵まれた。
初めてお目にかかったお母さんは、お体の悪さなど感じさせないほど実にパワフルで、毅然としたその佇まいは、母ゆえの大きくて温かな愛情に満たされていた。裁判で闘うというのは、想像を絶するほど大変なことのはずだ。しかも兵庫県警が相手なのだから、とてつもなく苛酷な闘いだ。それでもお母さんは気力をいっぱいに漲らせて凛としている。浦中さんへの深い愛情が、その心と体をしっかりと支えているのだろう。
高層住宅の階上から事件現場を指し示してくれたが、そこからほんの目と鼻の先に交番があり、しかも浦中さんは自らその交番に出向いて通報していたそうだ。交番から警察官が走ってくれば30秒ほどで事件現場に着く、そのくらいの近さだった。警察は非常事態に守ってくれるものではないのか。こんなに近い場所に交番があるというのに。もしかしたら交番にいたのは、警察官の服装をしただけの普通の人だったのかもしれない。そんなことを思えるような信じられない事実を、お母さんはひとつずつ丁寧に教えてくれた。
なんとも歯がゆく悔しい思いの一方で、高層階からの見晴らしはとても素晴らしく、浦中さんが生前見ていたであろう風景を、大熊さんは丁寧に写真におさめていた。いずれどこかのライヴ会場で会えたかもしれない浦中さんと、一度も言葉を交わすことができなかったことが実に悔やまれる。卑劣な事件が奪ったものはあまりにも大きくて尊い。

その後、神戸市役所前へ。震災から毎年やっているイベントで、おーまきちまきさんや趙博さんのステージに大熊さんも参加、モノノケは諸事情で出演できなかったのが残念。夕方になるにつれて寒さも厳しくなるなか、ステージ前でずっと見てくれるお客さんもずいぶんいた。ウキウキするリズムの曲になると、上着を脱いで躍り出てくるおじいちゃまが、更に会場を盛り上げていた。
市役所の2階では震災の写真も展示しており、報道されない側面が数多くとらえられていて、一枚一枚食い入るように見てしまった。

打ち上げに少しだけ顔を出して、ほどなく梅田へ。ソウルフラワーの河村くんと、桃梨のJIGENくん、みほちゃんと共に車で帰京。往きは二日酔いで断念した分、車中ではみほちゃんとずいぶんおしゃべりしてもらった。久しぶりの河村氏のトークもおかしくて、8割方笑いながらの帰路だった。桃梨、ホントに最高!音楽も、人としても素晴らしい!

そんな感動のなか、気づいたら河村くんが全行程運転してくれていた。いやー、申し訳ないっす。
河村くんは本当に働き者で、こうした機材車の運転をはじめ、ステージのセッティング、舞台監督のような仕事、こまごまとしたマネジメント的な雑務などをやったうえで、本業の演奏をしているのだ。そして演奏後は楽器や機材を片付けて、搬出もする。ああ、ごめんなさい。少しでも手伝えばよかった。裏方仕事をしながらステージにも立つことは本当に大変、というか、かなり無理のあることなので、それをきっちりこなしている河村くんを、私は全面的に尊敬しています!L・O・V・E・H・I・R・O・S・H・I・ラーヴ・ヒ・ロ・シ!長っ。

[link:27] 2005/01/26(wed) 19:36