2004年12月23日(木)三宮AMZ
[link:7] 2005年01月06日(木) 06:31
2005年01月14日(金) どこが公共放送だ?
NHKのETV2001「女性国際戦犯法廷」内容改変に関して内部告発。
翌日のニュースは最低だった。
政治家の意見ばかりではなく、市民の側、視聴者の側に立った報道を忘れないでほしい。
今までも特に期待していた訳でもないのに、こんなカマトトぶったことを言わずに居れないのは、与党幹部に事前説明していることをさも当然のように棚に上げ、ただ朝日の記事にキャンキャン吠え立てていることだ。
これは報道の自殺ではないのか。
内部告発が仮に間違った要素を含むとしても、番組が土壇場で主旨を大きく後退させ、政府におもねった内容になったのは紛れもない事実だ。
繰り返します。
心あるNHK職員は報道の初心を思い出してほしい。
翌日のニュースは最低だった。
政治家の意見ばかりではなく、市民の側、視聴者の側に立った報道を忘れないでほしい。
今までも特に期待していた訳でもないのに、こんなカマトトぶったことを言わずに居れないのは、与党幹部に事前説明していることをさも当然のように棚に上げ、ただ朝日の記事にキャンキャン吠え立てていることだ。
これは報道の自殺ではないのか。
内部告発が仮に間違った要素を含むとしても、番組が土壇場で主旨を大きく後退させ、政府におもねった内容になったのは紛れもない事実だ。
繰り返します。
心あるNHK職員は報道の初心を思い出してほしい。
[link:9] 2005年01月24日(月) 06:08
2005年01月15日(土) いざ神戸へ!
朝9時からソウルフラワーの河村博らと車で移動。ほかにソウルフラワーで最近ベースを弾いているJIGEN君のユニット桃梨の二人が同乗。ボーカルのみほちゃんは初めて会ったが、なかなかぶっ飛んでて面白い。
夕方、大阪へ。ソウルフラワーの根城に向かう車と別れ、自分はさらに三宮に向かう。翌日の「つづら折りの宴」は午前中から始まるし、せっかくなのでBIGAPPLEで吹き初めすべく、ふちがみとふなとに押しかけゲストを申し出てあった。
前半は客席から見物。何度も来ているBIGAPPLEだが、客席で聞くのは初めてかも。何だか新鮮な眺めだ。
ステージは、とぼけたように思わせておいて、最初から気合いの入った選曲。
水爆に怒っているまぐろの歌、これは誰のオリジナルだっけな?
でも、すぐに関節はずしで笑わせてリラックスさせる。さすがだ。
1曲だけ、歌がグラグラと妙に揺れるのがあって、どうしたのかと思ったら、大原裕の曲に歌詞をつけたものだった。
大原、いえぃ!じゅんちゃん泣かしやがって、いえぃ!
後半のゲストコーナーでは、ちょっとはしゃぎすぎて音数が多すぎたかもしれない。まだまだ青いな、自分。
だってふたを開けてみたら、新年早々Walking on the wildside ほか、ご機嫌なことこの上ない選曲なんだから無理もないが。
終演後、ふちふな他京都組をを早々に見送り、お客の倉本君やマスターの近藤さんらとしばし談笑。倉本君から広島備後地方の濁り酒の差入れがあり、全員でびりびりした。
最後に近藤さんら近所の人たちとラーメン屋へ。神戸は、そこかしこにうまい店があり、東京とくらべたら天地の差だ。そこも、どうという店でもないが、そこそこのレベルだ。
さて、ラーメンの湯気の向こうで酔眼を遠慮がちにちらちらさせながら、近藤さんが被災地復興イベントにボランティアでやってくる僕の酔狂さ?にちくちくと疑問を投げてくる。
近藤さんもちろん被災者だ。店ではいつもダメダメオヤジの顔になってるけど、店を維持するための努力は並々ならぬものであるにちがいない。その彼がいつも応援してくれている僕が、ノーギャラ・自腹で来ている。何なん?
まあ、分からなくもない。地元からすれば、年に一度の震災報道や、押しかけてくるおせっかい、違和感もあるに違いない。また実際、しょうもない企画、勘違い野郎も掃いて捨てるほどあるだろう。
お前は何者か?
ここで、年寄り、しょうがい者、弱者ほど、いつまでも取り残されてる・・・といったスタート長田の取組などは、取りあえずおいておくと、僕は基本的には自分のために来ている。もちろん、スタート長田の立ち退き問題は応援したいし、自分の演奏がちょっとでも役に立てば文句なしだ。でも、頼まれて来ているというよりは、ここで吹きたいから来ている、というしかないかな。
90年代後半、幾度となく大勢の人々と、すばらしい風に吹かれながら演奏の場をともにしてきた。そこで僕は、かたちにならない大きなものをもらってきた。だから、神戸で顔なじみなった人々、久しぶりの人、街並み、六甲の山々、そのすべてに年始回りにきたのだ。そのためなら、10年という区切りも悪くない。
夕方、大阪へ。ソウルフラワーの根城に向かう車と別れ、自分はさらに三宮に向かう。翌日の「つづら折りの宴」は午前中から始まるし、せっかくなのでBIGAPPLEで吹き初めすべく、ふちがみとふなとに押しかけゲストを申し出てあった。
前半は客席から見物。何度も来ているBIGAPPLEだが、客席で聞くのは初めてかも。何だか新鮮な眺めだ。
ステージは、とぼけたように思わせておいて、最初から気合いの入った選曲。
水爆に怒っているまぐろの歌、これは誰のオリジナルだっけな?
でも、すぐに関節はずしで笑わせてリラックスさせる。さすがだ。
1曲だけ、歌がグラグラと妙に揺れるのがあって、どうしたのかと思ったら、大原裕の曲に歌詞をつけたものだった。
大原、いえぃ!じゅんちゃん泣かしやがって、いえぃ!
後半のゲストコーナーでは、ちょっとはしゃぎすぎて音数が多すぎたかもしれない。まだまだ青いな、自分。
だってふたを開けてみたら、新年早々Walking on the wildside ほか、ご機嫌なことこの上ない選曲なんだから無理もないが。
終演後、ふちふな他京都組をを早々に見送り、お客の倉本君やマスターの近藤さんらとしばし談笑。倉本君から広島備後地方の濁り酒の差入れがあり、全員でびりびりした。
最後に近藤さんら近所の人たちとラーメン屋へ。神戸は、そこかしこにうまい店があり、東京とくらべたら天地の差だ。そこも、どうという店でもないが、そこそこのレベルだ。
さて、ラーメンの湯気の向こうで酔眼を遠慮がちにちらちらさせながら、近藤さんが被災地復興イベントにボランティアでやってくる僕の酔狂さ?にちくちくと疑問を投げてくる。
近藤さんもちろん被災者だ。店ではいつもダメダメオヤジの顔になってるけど、店を維持するための努力は並々ならぬものであるにちがいない。その彼がいつも応援してくれている僕が、ノーギャラ・自腹で来ている。何なん?
まあ、分からなくもない。地元からすれば、年に一度の震災報道や、押しかけてくるおせっかい、違和感もあるに違いない。また実際、しょうもない企画、勘違い野郎も掃いて捨てるほどあるだろう。
お前は何者か?
ここで、年寄り、しょうがい者、弱者ほど、いつまでも取り残されてる・・・といったスタート長田の取組などは、取りあえずおいておくと、僕は基本的には自分のために来ている。もちろん、スタート長田の立ち退き問題は応援したいし、自分の演奏がちょっとでも役に立てば文句なしだ。でも、頼まれて来ているというよりは、ここで吹きたいから来ている、というしかないかな。
90年代後半、幾度となく大勢の人々と、すばらしい風に吹かれながら演奏の場をともにしてきた。そこで僕は、かたちにならない大きなものをもらってきた。だから、神戸で顔なじみなった人々、久しぶりの人、街並み、六甲の山々、そのすべてに年始回りにきたのだ。そのためなら、10年という区切りも悪くない。
[link:10] 2005年01月24日(月) 06:15
2005年01月16日(日)
ずい分時間が経ってしまったが、なんとか少しづつ片付けていこう。
1月16日のつづら折りの宴、17日の神戸市役所前(追悼と抗議の集会)、いずれも凛とした空気のなか、気持ちのよい時間を過ごすことができた。
(両イベントのレポートは「インパクション」145号にも書いた。http://www.jca.apc.org/~impact/magazine/impaction.html)
つづら折りは震災後1年の96年以来9年ぶり。僕はそのときはまだモノノケに合流する前だったので、今回が初めて。
ではあるが、90年代後半、何度も何度も神戸のいろんなイベントで出会った人々(スタッフやミュージシャン)に再会して、まるで同窓会のようだった。(といっても同窓会なるもの、いまだかつて出席したことがないのだが)
だいたいモノノケで演奏すること自体、2年ぶりくらいかな?
ほかにも、小嶋さちほさんや、山口洋、リクオ、などなど、懐かしい顔がそろっていて楽屋は大賑わいだ。
もちろん、それだけで終わったら話にならない。みんな、短い持ち時間ながらやることはびしっと決めていた。
僕はモノノケ以外にも、おーまきちまきさんやチンドン通信社にも参加。とくに開演前のちんどん街回りは、街と直接交感するような楽しい時間だった。
遠くに六甲の主峰が見えている。あの辺で大原が眠っているはずだ。お〜い、来たで。聞こえてるか?
1月16日のつづら折りの宴、17日の神戸市役所前(追悼と抗議の集会)、いずれも凛とした空気のなか、気持ちのよい時間を過ごすことができた。
(両イベントのレポートは「インパクション」145号にも書いた。http://www.jca.apc.org/~impact/magazine/impaction.html)
つづら折りは震災後1年の96年以来9年ぶり。僕はそのときはまだモノノケに合流する前だったので、今回が初めて。
ではあるが、90年代後半、何度も何度も神戸のいろんなイベントで出会った人々(スタッフやミュージシャン)に再会して、まるで同窓会のようだった。(といっても同窓会なるもの、いまだかつて出席したことがないのだが)
だいたいモノノケで演奏すること自体、2年ぶりくらいかな?
ほかにも、小嶋さちほさんや、山口洋、リクオ、などなど、懐かしい顔がそろっていて楽屋は大賑わいだ。
もちろん、それだけで終わったら話にならない。みんな、短い持ち時間ながらやることはびしっと決めていた。
僕はモノノケ以外にも、おーまきちまきさんやチンドン通信社にも参加。とくに開演前のちんどん街回りは、街と直接交感するような楽しい時間だった。
遠くに六甲の主峰が見えている。あの辺で大原が眠っているはずだ。お〜い、来たで。聞こえてるか?
[link:11] 2005年03月22日(火) 04:46
2005年01月17日(月)浦中君宅訪問
夜更けに激しい雨が降り、朝になってもまだ降ったり止んだり。
野外イベントの現場は大変だろう。
神戸市役所前のイベントは昼から始まるが、自分が出るのは夕方のおーまきちまきさんや趙博たちのサポート。
それまでの時間に、西区の故・浦中邦彰君のお母さん宅を訪問してきた。
明石から数キロ北の浅い谷や丘が広がる地域に県営の高層集合住宅が散在する。そのひとつの棟に浦中君の実家があった。ヤクザ組長とトラブルになり拉致された現場は、まさにその棟の真ん前。
車止めのひとつが捩れていたが、そのトラブルの名残りらしい。あまりにリアルだった。
お母さん宅は上層階で見晴らしもよく、海側には明石大橋や淡路島、瀬戸内海などが見渡せるのだが、反対側の真下には、その現場や、すぐ目と鼻の先の交番が見えている。
浦中君は一度交番に助けを求めに行ったのだが、友だちの様子を見に戻り、自分がやられてしまった。この「現場に戻ったこと」が裁判では県警側が、浦中君が自ら危険を冒した(つまり県警の責任ではない)という論拠になっているそうだが、ひどい話だ。
お母さんは持病で通院しながら、単身、裁判でたたかい続けている。
しかし、思ったより全然パワフルで、むしろ圧倒されそうなくらいの勢いで、裁判の経過やら県警への不満など、思いのたけを語ってくれた。
怒り・悲しみがエネルギー源になっているのだろうけど、闘うことによって、息子の霊とともに、自らの尊厳を守っていくのだ、というバイブレーションが実にポジティブだった。
むしろお見舞いしたこちらの方が力をもらったような、妙な按配だ。
年末のお母さんの一審勝訴の後、すぐに県警が控訴したのだが、うかつにも、僕はまだ控訴のことを知らなかった。東京ではほとんど報道されなかったのだ。
不明を恥じるとともに、お母さんのパワフルな笑顔を思い出しつつ、一刻も早い勝訴確定、ないし県警の控訴取り下げが実現するよう、微力ながら見守っていきたいと思う。
(その後、県=県警に控訴を取り下げるよう個人的キャンペーンを張り、藤田正さんのBeat21にも載せていただいた。)
http://www.beats21.com/ar/A05012006.html
野外イベントの現場は大変だろう。
神戸市役所前のイベントは昼から始まるが、自分が出るのは夕方のおーまきちまきさんや趙博たちのサポート。
それまでの時間に、西区の故・浦中邦彰君のお母さん宅を訪問してきた。
明石から数キロ北の浅い谷や丘が広がる地域に県営の高層集合住宅が散在する。そのひとつの棟に浦中君の実家があった。ヤクザ組長とトラブルになり拉致された現場は、まさにその棟の真ん前。
車止めのひとつが捩れていたが、そのトラブルの名残りらしい。あまりにリアルだった。
お母さん宅は上層階で見晴らしもよく、海側には明石大橋や淡路島、瀬戸内海などが見渡せるのだが、反対側の真下には、その現場や、すぐ目と鼻の先の交番が見えている。
浦中君は一度交番に助けを求めに行ったのだが、友だちの様子を見に戻り、自分がやられてしまった。この「現場に戻ったこと」が裁判では県警側が、浦中君が自ら危険を冒した(つまり県警の責任ではない)という論拠になっているそうだが、ひどい話だ。
お母さんは持病で通院しながら、単身、裁判でたたかい続けている。
しかし、思ったより全然パワフルで、むしろ圧倒されそうなくらいの勢いで、裁判の経過やら県警への不満など、思いのたけを語ってくれた。
怒り・悲しみがエネルギー源になっているのだろうけど、闘うことによって、息子の霊とともに、自らの尊厳を守っていくのだ、というバイブレーションが実にポジティブだった。
むしろお見舞いしたこちらの方が力をもらったような、妙な按配だ。
年末のお母さんの一審勝訴の後、すぐに県警が控訴したのだが、うかつにも、僕はまだ控訴のことを知らなかった。東京ではほとんど報道されなかったのだ。
不明を恥じるとともに、お母さんのパワフルな笑顔を思い出しつつ、一刻も早い勝訴確定、ないし県警の控訴取り下げが実現するよう、微力ながら見守っていきたいと思う。
(その後、県=県警に控訴を取り下げるよう個人的キャンペーンを張り、藤田正さんのBeat21にも載せていただいた。)
http://www.beats21.com/ar/A05012006.html
[link:12] 2005年04月13日(水) 15:16
新聞は各紙とも1面で浦中君事件の訴訟地裁判決。まずは県警の責任を全面的に認めていてよかった。このタイミングなので、翌日、浦中家に伺って線香でも上げられないか…。お母さんには「ゴーストサーカス」はお渡ししてあるが、まだ直接ご挨拶もしてないし。だが、お疲れだろうしやはり遠慮すべきか。
さて、パギやんの年末ツアーもいよいよ楽日。神戸のゲストはおーまきちまきさんとのむらあきさん。被災地のライブではよく「対バン」だった。ほっこりしたナチュラルな歌だったよな・・・、とそんな記憶が、リハで吹っ飛んだ。自分だけでなく、パギやん、矢野さん、みんな楽屋で「え?」と絶句。歌の芯にみなぎるものが溢れていて圧倒される。
以前がしょぼかった訳では全然ないのに、何とすばらしく伸びていることだろう。おめでとう!
言葉尻だけでいうと、きわめてシンプルな人生の応援歌といえるようなものなのだが、歌ははやっぱり声だ。
聴き取る間もなくストレートに言葉が中まで飛んでくる。暴力ではない強いもの、歌の力を再認識した。
さて、おーまきさんのパワーに乗せられて、調子に乗っていきたいところだったが、本番のころになると体が妙な具合。なんだか熱っぽい。風邪か? 集中するのにも一苦労で前半は苦戦。それでも、おーまきさんの登場する後半から、なんとか気合いでうっちゃって乗り切る。
しかし、打ち上げは遠慮してホテルに直行。