大熊ワタル気まぐれ日記:2005-01-17


2005年01月17日(月)浦中君宅訪問

夜更けに激しい雨が降り、朝になってもまだ降ったり止んだり。
野外イベントの現場は大変だろう。
神戸市役所前のイベントは昼から始まるが、自分が出るのは夕方のおーまきちまきさんや趙博たちのサポート。
それまでの時間に、西区の故・浦中邦彰君のお母さん宅を訪問してきた。
明石から数キロ北の浅い谷や丘が広がる地域に県営の高層集合住宅が散在する。そのひとつの棟に浦中君の実家があった。ヤクザ組長とトラブルになり拉致された現場は、まさにその棟の真ん前。
車止めのひとつが捩れていたが、そのトラブルの名残りらしい。あまりにリアルだった。
お母さん宅は上層階で見晴らしもよく、海側には明石大橋や淡路島、瀬戸内海などが見渡せるのだが、反対側の真下には、その現場や、すぐ目と鼻の先の交番が見えている。
浦中君は一度交番に助けを求めに行ったのだが、友だちの様子を見に戻り、自分がやられてしまった。この「現場に戻ったこと」が裁判では県警側が、浦中君が自ら危険を冒した(つまり県警の責任ではない)という論拠になっているそうだが、ひどい話だ。
お母さんは持病で通院しながら、単身、裁判でたたかい続けている。
しかし、思ったより全然パワフルで、むしろ圧倒されそうなくらいの勢いで、裁判の経過やら県警への不満など、思いのたけを語ってくれた。
怒り・悲しみがエネルギー源になっているのだろうけど、闘うことによって、息子の霊とともに、自らの尊厳を守っていくのだ、というバイブレーションが実にポジティブだった。
むしろお見舞いしたこちらの方が力をもらったような、妙な按配だ。
年末のお母さんの一審勝訴の後、すぐに県警が控訴したのだが、うかつにも、僕はまだ控訴のことを知らなかった。東京ではほとんど報道されなかったのだ。
不明を恥じるとともに、お母さんのパワフルな笑顔を思い出しつつ、一刻も早い勝訴確定、ないし県警の控訴取り下げが実現するよう、微力ながら見守っていきたいと思う。

(その後、県=県警に控訴を取り下げるよう個人的キャンペーンを張り、藤田正さんのBeat21にも載せていただいた。)
http://www.beats21.com/ar/A05012006.html

[link:12] 2005年04月13日(水) 15:16