大熊ワタル気まぐれ日記


2005年07月13日(水)スクラップ記事

しばらくぶりに新聞をまとめて読み、気になった記事がいくつか。

●<筑波大五十嵐助教授殺害>「悪魔の詩」翻訳者刺殺、時効まで1年(毎日 9日)
http://www.excite.co.jp/News/society/20050709150000/20050709E40.067.html

●「家なき若者」が集う安宿続々 都心で1泊1480円」(11日・朝日)
http://www.asahi.com/job/news/TKY200507110028.html
http://www.restbox.net/pc/index.html
※すごいことになってる!

●「すしチェーン社長逮捕 密入国外国人ら雇用」(12日・東京)
「日本人は長続きしないので、一九九八年ごろから口コミで外国人を集めていた。ま
じめな人なら在留資格は問わなかった」
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20050712/eve_____sya_____001.shtml
※社長ら10人逮捕(外国人とは別に)…、とは見せしめ大弾圧なのだろう。

[link:13] 2005年07月13日(水) 04:12


2005年08月20日(土)旧友との新鮮な夜

昨日は早稲田の老舗ロックバー「JerryJeff」にて、服部夏樹(g)とデュオ。
旧知のベーシスト、西村卓也氏からのお誘いで、西村さんのソロも拝見。
相変わらすというか、ますますあやしく面白い。
そして全部、ベースと歌の引き語り!
最後にアコギに持ち替えて、英語の歌があった。
何だかオリジナルを聞いたことがあるような気がしたが、
あとで聞いたら、Pフロイド・原始心母の曲だった!
服部氏とのデュオも、無事終了したが、個人的には服部曲が懐かしくも新鮮な響きで楽しめた。
それにしても、西村氏も服部氏もいい曲書くのに、聞かれる機会がほとんど無いのは人類史的に、もったいない!!!

[link:18] 2005年08月25日(木) 04:57


2005年08月22日(月)今月の満月はなかなかのものだった

KUMA ROCK FESTIVAL 05 は興行的には惨敗だったが、内容は面白かったので、こりずにそのうちリベンジしようと思う。
ところで、先日リハで高円寺の老舗練習スタジオPALに行った。
ここの社長が先月亡くなり、2階で線香をあげられると聞いていたので、それを兼ねての訪問だった。
PAL社長のことはシカラムータ10周年パンフのあとがきにチラと書いたが、お囃子やチンドンに理解があり、最初のリハで背中を押してもらったという個人的恩義がある。
日劇の音響チーフ(細かい肩書きは分からないが)や某メジャーレーベルの技術スタッフを経て、手づくりで始められたのがPAL。高円寺のスタジオの走りだったそうだ。近辺でも荻窪の最初のスタジオとほぼ同時だったというから、中央線沿線のリハスタの本当の走りなのだろう。
何年か、ガンの闘病生活を送られ、ずっと本人は治すつもりだったようだが、惜しくも先月他界された。
僕も、10年前ころ、何度かお会いしただけだが、日劇の話や、ベテランの技術者としての話をうかがいたいと思っていたので残念でならない。去年、病床で退屈していると聞いて、演芸のCDをコピーして進呈したらとても喜ばれていたそうで、遠慮せず見舞いに行きべきだった。
ご家族とお話した折、社長を偲ぶライブでも開きたいが、どうしたものやら分からない、自分になら頼めるだろうか、と微妙に打診された。
一人ではできないが、う〜む。何かはやっておきたいなあ。
帰り道、ほとんど丸い月が、応援を約束してくれたような気がする。

[link:17] 2005年08月25日(木) 04:56


2005年08月25日(木)気がかりなこと

東地中海紀行は当時の日付に直してアップしなおした。
実は後半はあらかた書いてあるので、難民キャンプ訪問の微妙な備忘録さえ書き上げれば、一挙に完成か?

明日のカメリアホール、台風が心配だ。しかも今日、起きたら大雨のなか、通しリハがある。

気がかりなこと。
15日、靖国で反対のアピールに加わっていただけで、機動隊にどつかれて4人が逮捕・拘留されているが、
そのうちの一人は、DJをやったりする音楽好きな若い友人だ。
一部メディアは「過激派4人逮捕」などと、警察情報垂れ流しで記事を書いていたが、調べもしないでよくも書けたもんだ。
何も暴れたりしたわけでなく、ただ黙秘しているだけなので、誰もが2泊くらいで出てくるだろうと思いきや、拘留延長で、まだ「拉致」されたままだ。
これは完全に見せしめの不当弾圧。
許される訳がない。

浦中君の裁判での兵庫県上告も怒髪天だ。
もうひとつ体があれば神戸で署名集めでもしたいくらいなのだが。
地元での世論の高まりはないのだろうか?

[link:19] 2005年08月25日(木) 05:21


2006年01月10日(火)デレク・ベイリー追悼

 思えば、初めて参加したバンド「絶対零度」の悪友から、あなたの話を聞かされ、その演奏(レコード)を聴く前から、これこそ自分の求めていたものと確信した19歳の日々が、その後の自分の原点のひとつといえるかもしれません。
 MMD計画で初めて目の当たりにした、あなたの演奏ぶりはたしかに徹底的に自発的で非妥協的なものでした。無駄なく、そぎおとされたような潔い音。かと思えば、演奏途中で急に楽屋に引っ込むやいなや、椅子を次々にステージに投げ込みだす。当時すでにいいおじさんだったデレクですが、あのやんちゃな暴れん坊ぶりが今でも忘れられません。
 そしてそれから約10年後、白州のカンパニー・ジャパンであなたと共演できたことは、忘れ得ない思い出です。もっと間近で聴くことのできた、そのサウンドは何とクリアでつよい音だったでしょう。年もとり、病気がち。そんな事情は演奏には全く無縁でしたね。一見ランダムな演奏のスタイルは一貫していたと思いますが、そのサウンドは一音一音、つねに光り輝いていました。反復のないスタイルで、ひとつの無駄な音もない。それは本当に驚異でした。
 最近は、一音一音、どれだけ気持ちよく音が出せるか、ということを意識するようにしていますが、不思議にしょっちゅうデレクのことを思い出していたのです。これからもそうだと思います。
 本当にありがとう。そしてお疲れさまでした。

[link:21] 2006年01月12日(木) 07:55

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