大熊ワタル気まぐれ日記:2006-07-01


2006年07月01日(土)「下北沢・再開発問題をめぐる2,3の事柄」

(planB通信7月号の「当世音楽解体新書」DeMusik inter.に書いたモノ)

 まず個人的な話から始めていこう。
 80年代の前半だから、もう20年以上前になるが、当時風前の灯となっていた、東京のチンドン界に、1人のサックス吹きが遭遇、たちまち魅入られて、その後のチンドン・リバイバルの、(少なくとも東京での)発端となった、その舞台が下北沢(シモキタ)だった。そこで、そのサックス吹き、すなわち若き日の篠田昌已が、どこか怪しげな、しかし不思議な魅力の楽隊と偶然出会っていなければ、この自分も、クラリネットを始めたり、チンドンの世界に触れることもなかった可能性が大きい。そういうこともあり、自分にとって、シモキタとは、異質なモノ同士の出会い、意外な出会いが待っているはずの街だ。

 下北沢…。それは沢と名のつくことから明らかなように、もとは丘陵の間の小さな谷だった。井の頭線の堰堤を眺めてみよう。あれが谷の断面図だといってもよい。そして、茶沢通沿いに、かつての小川の痕跡が歩道となって残っている。駅の北西部は、丘に向かう傾斜地なので、ゆるやかながら起伏に富んでいる。
 狭苦しい商店街は、そこそこの歴史がありそうだが、戦後の一時期は、ピンクゾーンでも知られる街だった。そのピンク街のオーナーが、近隣のブーイングを受けて、出直したのが、いまの本多劇場だそうだ。
 その後、渋谷、吉祥寺とともに、若者文化の波を受け、独特の雰囲気をもつ街として変遷。たしかに飲食店、衣料店、雑貨店のほか、CD・レコードショップ、ライブハウス、劇場、映画館などなど、どれもありきたりではないこだわりを持ったスポットが多い。

 そんな下北沢が再開発計画に揺れている、という話はすでに耳にされた方も多いと思う。小田急の地下化工事にともなって、巨大な幹線道路(補助54号線)を新設し、北口に駅前広場をつくり、高層集合住宅・店舗をつくる、という大規模再開発の計画が発表され、それに対し、「シモキタの街が壊される」と危機意識をもった人々が、反対運動を展開している。
 もっとも、商店会など元々の住民には、再開発推進・賛成の人々もいるし、たしかに駅周辺は、狭い道路と建て込んだ商店街で、いかにも災害に無防備そうだ。そりゃ消防車が入れない商店街は、なんとかしたほうがいいだろう。しかし、何でいきなり巨大道路なのか? 再開発は必要だと感じる地元民でも、補助54号線や、大規模ビルなどがセットになった計画は、戸惑いや困惑を感じる人も少なくないという。この幹線道路は、環七・環八並みに幅26mもあるもので、なんと60年も前に計画されたまま、長年忘れられていた代物だ。小子化、環境危機の時代に、なぜ?(もひとつあった。国の借金、今いくらだっけ?)
 その不条理な計画の裏には隠れたカラクリがあるという。かんたんに言うと、一定以上の規模の計画であれば、特定道路財源という助成が国から交付されるという仕組みがあるのだ。巨大道路の存在は、助成金を交付するためだけにあるといっても過言ではないのではないか。

 「区民の声を聞く区長」をいただき、「すぐやる課」を設置する世田谷区。しかし彼らは、この間、反対派の意見を一貫して無視しようとしてきた。何が何でも、異論には耳を貸さない、といった態度は、傍目にはなかなか理解しにくいものがあったが、そういうカラクリがあるならば、話は別だ。それは作る側には旨味のある、なんとしてもやり遂げなければならない話なのだろう。
 「下北沢FORUM」、「Save the 下北沢」などの団体は、ただ反対と騒ぐのではなく、学者・専門家をまじえ、もっとましな再開発の代案があるのではないか、と提案もしてきたが、役人のプライドが傷つくのか、居丈高に拒絶するばかり。商店街などの賛成派(主に地権者たち)だけに、プランを伝えたことで、区民には説明義務を果たしてきたような振りをしてきた。これに対し、ライブハウスや飲食店など、「無視されてきた」個人商店主たちが立ち上がり、「54号線の見直しを求める下北沢商業者協議会」として反対運動に合流、精力的に活動をしている。

 DeMusik inter. は「インパクション」152号の連載コーナー「闘走的音楽案内」で、「Save the 下北沢」で活動する“シンガーソング音楽ライター”志田歩と、若き社会学者・木村和穂を迎え、この問題について語ってもらった。珍しいことに(「インパクション」がマスメディアで言及されることは、滅多にないのだが)、この対談は朝日新聞(6.27夕刊)の「論壇時評」で「注目!今月の論考」のひとつとして言及されていた。

 評者の鈴木謙介(社会学者)は、「地域と安全」というテーマで、他の論稿も挙げつつ「反対運動をよそ者が担うのは不当だ」という批判が、実は疑わしいのではないかと問う。「実際にそこに住んでいる人間だけが「シモキタ」という地域のブランドイメージを形成する主体ではないのだ」と。
 そして、上記対談は「再開発にかかわる複雑な当事者関係を明らかにしつつ、「文化保護か地域の安全か」という対立構図は、マスメディアが作り上げたものだと批判する。地域開発を巡るステークホルダー(利害関係者)の範囲に関する議論は、今後も様々な場面で繰り返されるだろう。」と述べている。
 少なくとも、これが個別の地域問題でありつつも、行政に対するオルタナティブ運動の、ひとつのユニバーサルな実験の場である、といえるだろう。

 なお最近の動きを簡単に整理しておくと、3月の前年度内の着工手続きは見送られたものの、5月に入り、着工手続きの前段となる「説明会」を、区が一方的なスタンスで強行。会場は異議や話し合いを求める意見などで紛糾した。6月半ば、再三の要請に、ようやく区長ら区政幹部が、反対派と会見。
 おかしなことに、区長は、対話の場を検討するとコメントしたが、区幹部は、「すでにその段階ではない」と拒否の姿勢を示し、その「あきれた不一致ぶり」は新聞でも報じられた。区長は、反対派の意見の内容を、ほとんど知らなかったという。国交省の意向を汲む区幹部と、飾りに過ぎない区長という分析がささやかれている。が、カタチだけでも、対話の場が公式に言及されたのだ。巨大再開発に素手で対抗する下北沢の運動は、いよいよ目の離せない展開となってきた。

                 (文中敬称略)

[link:32] 2006年07月01日(土) 10:28