大熊ワタル気まぐれ日記:2007-03-02
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2007年03月02日(金)
「沈黙するTOKYOと、乱反射する音遊び@辺野古」
当世音楽解体新書 (planB通信07年3月号を手直ししたものです。)
★「沈黙するTOKYOと、乱反射する音遊び@辺野古」
先月お伝えした、オリコン個人提訴事件の続報から始めてみよう。ヒットチャートで有名なオリコンが、雑誌に批判的なコメントが載ったフリージャーナリスト烏賀陽(うがや)弘道氏に対し、5000万を請求したという不条理な訴訟だ。
2月13日、東京地裁で一回口頭弁論が開かれたが、オリコン側が19人もの弁護士をかき集めながら、弁論の数日前に起こされた烏賀陽氏からの反訴にまったく対応できていない様子(早くも引き伸ばし作戦で兵糧攻めを狙っているのかもしれないが)。それに対し、烏賀陽氏の支援の輪は、2月10日にフランスの世界的NGO「国境なき記者団」が、烏賀陽支持とオリコン社長に訴訟を断念するよう勧告、16日には、同じくフランス有力紙「リベラシオン」にも1頁を埋める紹介記事が載った。
また19日には、国内でも出版労連(出版社の労働組合の連合体)が、烏賀陽氏への「不当な訴訟を取り下げ、謝罪することをオリコンに強く求める」声明を発表するなど、烏賀陽支持は世界的な広がりを見せている。
このように書くと、オリコンは、皮肉にも烏賀陽氏の名声に拍車を掛けているだけのように見えるかもしれない。
しかし、このような支援の声の一方、対照的なのは、国内マスコミがほとんどと言ってよいほど沈黙の構えを見せていることだ。新聞はまだしも、TV関係からは、烏賀陽氏に、一本の問い合わせもないそうだ。すでにお気づきかもしれないが、マスメディアは、そのほとんどが、オリコンとの取引先であり、オリコンからヒットチャートのデータ提供を受けている。あまつさえ、オリコン側の弁護士が「こんな訴訟、どこも記事にしませんよ」と自信ありげに放言しているそうだ。
もしかすると、オリコンは、まだ烏賀陽氏サイドを甘く見ているのかもしれない。しかし、企業の恫喝的訴訟に、しばしば見られる傾向だが、彼らの目的は、必ずしも勝訴ではなく、相手を疲弊させ沈黙させることだ。
そう、少なくともマスメディアは、すでにいろいろなことに対して沈黙している。良心的なマスコミ関係者も少なくないはずだが、反応を起こさないままならば、「良心的に眠っている」(原寿雄・元共同通信主幹)と言われても仕方がない。
もっとも、ここでしたり顔でマスコミ批判をしたいわけではない。そんなヒマがあれば、もっと面白いことをしよう。そう、マスコミが語らない領域にこそ、真にリアルなこと、面白いことがある。
そんな思いを強くしたのが、たとえば2月24日、25日に沖縄・辺野古で開催されたピース・ミュージック・フェスタだった。
ご存知のように、すでに米軍キャンプシュワブが存在する辺野古では、さらに普天間基地の代替施設の受け入れの是非を巡って、地元を二分する葛藤に苛まれてきた。当初の沖合いの案を、草の根の反対運動で防いできたと思いきや、米軍再編のあおりで、唐突にV字滑走路という「日米の合意」が発表された。その後の県知事選は、反対派の候補が敗れたが、賛成にせよ、反対にせよ、苦く重い葛藤を地元の人々は負わされている。押し付けているのは、言うまでもなく、日米政府と、その国民たちだ。
その辺野古で、既成の政治的組織などの、しがらみをさけつつ、音楽の力だけで、基地をなくし、辺野古の自然を守ろうという行動が、ピースミュージックフェスタだ。
すでに、去年、レゲエ好きな人々によって第一回目が、土砂降りにも関わらず700人の結集で成功裡に開催されていたが、今年、さらに、沖縄に移住して3年目のソウルフラワーユニオン(モノノケサミット)伊丹英子と、沖縄新世代の注目株・知花竜海(DUTY FREE SHOPP.)の参画で、ジャンル不問で、2日間のイベントに拡大開催されたのだ。
知花ら若手から、新良幸人、オキナワン・サルサの雄・カチンバ1551などの実力派、さらに超ベテランの大城美佐子、照屋政雄など、豪華な沖縄勢、そして、ヤマトから、ソウルフラワーのほか、渋さ知らズ、梅津和時、寿など、はたまたアイルランドの大立者ドーナル・ラニーが駆けつけるなど、出演者を一覧するだけでも壮観だった。それぞれが、ひと言では言い尽くせない、魂のこもった音遊びを繰り広げて、実に圧巻だった。
その音の種の一粒一粒は、辺野古の白い浜に放射され、片や、米軍の鉄条網にぶつかって乱反射しながら、延べ千数百人の参加者の脳裡に深く刻み込まれ、さらに芽吹いていくことだろう。
ここで、沖縄本島・最北端の辺戸岬に立てられた、ある石碑のことを思い出さずにはおれない。与論島をはるかに望む北東方向、つまり本土に向いて立つ、その「祖国復帰闘争碑」は、「全国のそして全世界の友人へ贈る」として、以下のような高らかな調子で始まる。「吹き渡る風の音に耳を傾けよ。権力に抗し復帰をなし遂げた大衆の乾杯の声だ。打ち寄せる波濤の響きを聞け。戦争を拒み平和と人間解放を闘う大衆の雄叫びだ」
しかし、碑文は、苦く重い調子に一転する。72年5月の「沖縄返還」が、「日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用され」「県民の平和への願いは叶えられ」なかったからだ。「しかるが故にこの碑は、喜びを表明するためにあるのでもなく、ましてや勝利を記念するためにあるのでもない。」さらに、石碑はこう結ばれている。「生きとし生けるものが自然の攝理の下に生きながらえ得るために警鐘を鳴らさん」
フェスティバル翌日、撤収の進む浜辺では、「吹き渡る風」と、「打ち寄せる波」が、寂寞と響き続け、時折、戦闘機の爆音が切り込んでくる。そんな現実に戻った風景のなか、石碑の断唱が、聞こえてきたような気がしたのだった。
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2007年03月14日(水) 13:09
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★「沈黙するTOKYOと、乱反射する音遊び@辺野古」
先月お伝えした、オリコン個人提訴事件の続報から始めてみよう。ヒットチャートで有名なオリコンが、雑誌に批判的なコメントが載ったフリージャーナリスト烏賀陽(うがや)弘道氏に対し、5000万を請求したという不条理な訴訟だ。
2月13日、東京地裁で一回口頭弁論が開かれたが、オリコン側が19人もの弁護士をかき集めながら、弁論の数日前に起こされた烏賀陽氏からの反訴にまったく対応できていない様子(早くも引き伸ばし作戦で兵糧攻めを狙っているのかもしれないが)。それに対し、烏賀陽氏の支援の輪は、2月10日にフランスの世界的NGO「国境なき記者団」が、烏賀陽支持とオリコン社長に訴訟を断念するよう勧告、16日には、同じくフランス有力紙「リベラシオン」にも1頁を埋める紹介記事が載った。
また19日には、国内でも出版労連(出版社の労働組合の連合体)が、烏賀陽氏への「不当な訴訟を取り下げ、謝罪することをオリコンに強く求める」声明を発表するなど、烏賀陽支持は世界的な広がりを見せている。
このように書くと、オリコンは、皮肉にも烏賀陽氏の名声に拍車を掛けているだけのように見えるかもしれない。
しかし、このような支援の声の一方、対照的なのは、国内マスコミがほとんどと言ってよいほど沈黙の構えを見せていることだ。新聞はまだしも、TV関係からは、烏賀陽氏に、一本の問い合わせもないそうだ。すでにお気づきかもしれないが、マスメディアは、そのほとんどが、オリコンとの取引先であり、オリコンからヒットチャートのデータ提供を受けている。あまつさえ、オリコン側の弁護士が「こんな訴訟、どこも記事にしませんよ」と自信ありげに放言しているそうだ。
もしかすると、オリコンは、まだ烏賀陽氏サイドを甘く見ているのかもしれない。しかし、企業の恫喝的訴訟に、しばしば見られる傾向だが、彼らの目的は、必ずしも勝訴ではなく、相手を疲弊させ沈黙させることだ。
そう、少なくともマスメディアは、すでにいろいろなことに対して沈黙している。良心的なマスコミ関係者も少なくないはずだが、反応を起こさないままならば、「良心的に眠っている」(原寿雄・元共同通信主幹)と言われても仕方がない。
もっとも、ここでしたり顔でマスコミ批判をしたいわけではない。そんなヒマがあれば、もっと面白いことをしよう。そう、マスコミが語らない領域にこそ、真にリアルなこと、面白いことがある。
そんな思いを強くしたのが、たとえば2月24日、25日に沖縄・辺野古で開催されたピース・ミュージック・フェスタだった。
ご存知のように、すでに米軍キャンプシュワブが存在する辺野古では、さらに普天間基地の代替施設の受け入れの是非を巡って、地元を二分する葛藤に苛まれてきた。当初の沖合いの案を、草の根の反対運動で防いできたと思いきや、米軍再編のあおりで、唐突にV字滑走路という「日米の合意」が発表された。その後の県知事選は、反対派の候補が敗れたが、賛成にせよ、反対にせよ、苦く重い葛藤を地元の人々は負わされている。押し付けているのは、言うまでもなく、日米政府と、その国民たちだ。
その辺野古で、既成の政治的組織などの、しがらみをさけつつ、音楽の力だけで、基地をなくし、辺野古の自然を守ろうという行動が、ピースミュージックフェスタだ。
すでに、去年、レゲエ好きな人々によって第一回目が、土砂降りにも関わらず700人の結集で成功裡に開催されていたが、今年、さらに、沖縄に移住して3年目のソウルフラワーユニオン(モノノケサミット)伊丹英子と、沖縄新世代の注目株・知花竜海(DUTY FREE SHOPP.)の参画で、ジャンル不問で、2日間のイベントに拡大開催されたのだ。
知花ら若手から、新良幸人、オキナワン・サルサの雄・カチンバ1551などの実力派、さらに超ベテランの大城美佐子、照屋政雄など、豪華な沖縄勢、そして、ヤマトから、ソウルフラワーのほか、渋さ知らズ、梅津和時、寿など、はたまたアイルランドの大立者ドーナル・ラニーが駆けつけるなど、出演者を一覧するだけでも壮観だった。それぞれが、ひと言では言い尽くせない、魂のこもった音遊びを繰り広げて、実に圧巻だった。
その音の種の一粒一粒は、辺野古の白い浜に放射され、片や、米軍の鉄条網にぶつかって乱反射しながら、延べ千数百人の参加者の脳裡に深く刻み込まれ、さらに芽吹いていくことだろう。
ここで、沖縄本島・最北端の辺戸岬に立てられた、ある石碑のことを思い出さずにはおれない。与論島をはるかに望む北東方向、つまり本土に向いて立つ、その「祖国復帰闘争碑」は、「全国のそして全世界の友人へ贈る」として、以下のような高らかな調子で始まる。「吹き渡る風の音に耳を傾けよ。権力に抗し復帰をなし遂げた大衆の乾杯の声だ。打ち寄せる波濤の響きを聞け。戦争を拒み平和と人間解放を闘う大衆の雄叫びだ」
しかし、碑文は、苦く重い調子に一転する。72年5月の「沖縄返還」が、「日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用され」「県民の平和への願いは叶えられ」なかったからだ。「しかるが故にこの碑は、喜びを表明するためにあるのでもなく、ましてや勝利を記念するためにあるのでもない。」さらに、石碑はこう結ばれている。「生きとし生けるものが自然の攝理の下に生きながらえ得るために警鐘を鳴らさん」
フェスティバル翌日、撤収の進む浜辺では、「吹き渡る風」と、「打ち寄せる波」が、寂寞と響き続け、時折、戦闘機の爆音が切り込んでくる。そんな現実に戻った風景のなか、石碑の断唱が、聞こえてきたような気がしたのだった。