話は、まずナポリ音楽シーンの顔役、ダニエレの新譜の紹介から始まった。2003年の傑作「アニメ・カンディード(率直な魂)」のあと、近作は、やや落ち込み傾向を感じさせたが、昨年リリースの新作「SUONARNE 1 X EDUCARNE 100」は、これまた、挑発的な問題作で、ダニエレ健在を強くアピールするものだ。名義は前作に引き続き、ドイツ語で「ダニエレ・セペと赤いジャズ分派」。このいかにも意味深なネーミングは、やはりというか、70年代のドイツの新左翼党派名のパロディーだそうだ。前作は、ボーカルのかなりを、チュニジア系移民のマルツークがアラブ語で務め、(アメリカ経由の)ジャズとアラブ歌謡の合体というコンセプトが特徴だったが、総じて「まったり」感が強く、「凪」というイメージだった。が、新作では、六八年、あるいはその後の七十年代(アウトノミア)の運動や「鉛の時代」(テロと弾圧の暗澹とした応酬)など、近い過去の出来事を振り返りつつ、皮肉や毒気たっぷりにコラージュした問題作で、音楽的にも超ハイテンション。あらためてダニエレの怪物的パワフルさに持っていかれた。
検証「地中海音楽の断層・南イタリア音楽シーンの磁場を聴く」
〜となりの芝生から見えてくるモノ
5月末に予定されていたナポリの鬼才、ダニエレ・セーペ来日公演は、直前になり急遽キャンセルになってしまった(家族の健康問題)が、5月26日planBでの「ダニエレ・セーペ来日記念 DJ&トーク 地中海音楽の断層・南イタリア音楽シーンの磁場を聴く」は、期待をさらに上回る面白さ、充実した内容だった。
講師を務めてくれたチャールズ・フェリスをあらためて紹介しておくと、1971年生まれでカリフォルニア大学バークレー校音楽文化学博士課程。現在ミュージシャン/エスノミュージコロジストとしてナポリ在住。トランペット奏者として現地のミュージシャンと音楽活動をしながら、ナポリの音楽シーンを通して移民やイタリア南北問題等、様々な社会問題を考察するフィールドワークに取り組んでいる。
話は、まずナポリ音楽シーンの顔役、ダニエレの新譜の紹介から始まった。2003年の傑作「アニメ・カンディード(率直な魂)」のあと、近作は、やや落ち込み傾向を感じさせたが、昨年リリースの新作「SUONARNE 1 X EDUCARNE 100」は、これまた、挑発的な問題作で、ダニエレ健在を強くアピールするものだ。名義は前作に引き続き、ドイツ語で「ダニエレ・セペと赤いジャズ分派」。このいかにも意味深なネーミングは、やはりというか、70年代のドイツの新左翼党派名のパロディーだそうだ。前作は、ボーカルのかなりを、チュニジア系移民のマルツークがアラブ語で務め、(アメリカ経由の)ジャズとアラブ歌謡の合体というコンセプトが特徴だったが、総じて「まったり」感が強く、「凪」というイメージだった。が、新作では、六八年、あるいはその後の七十年代(アウトノミア)の運動や「鉛の時代」(テロと弾圧の暗澹とした応酬)など、近い過去の出来事を振り返りつつ、皮肉や毒気たっぷりにコラージュした問題作で、音楽的にも超ハイテンション。あらためてダニエレの怪物的パワフルさに持っていかれた。
ここには、東京からの理解を誘う「相似的」なものと、そうでないものが同居している。まず、ダニエレの左翼性。それは自身の選択・性格があるにしても、背景、つまり祖父や父が小作農として、南イタリア特有の保守的な土地制度で苦労した、というプロレタリア的出自があり、さらにそれは、イタリアの、二人に一人はカトリック、もう一人は共産主義者、と言われてきた国民性?の一端だとも言えるだろう。
また、イタリアの70年代は、一般的なイメージは、「赤い旅団」に代表される暴力主義的なテロと、権力の弾圧に暗く彩られた「鉛の時代」だろうが、一方で、「アウトノミア(自律)」という、新左翼自体を相対化するようなオルタナティブな運動の存在も忘れてはならないだろう。そこからは、スクォッタリング(占拠運動)や、労働の拒否(相対化)、マイノリティーの解放など、現在に続く自在な運動が花開いたのだ。(ちなみに、アウトノミアの代表的知識人と目されたのが、「帝国」や「マルティチュード」のアントニオ・ネグリだ。)
さて、そのセーペが10代後半に音楽活動を始めるきっかけとなったのが、労働者音楽グループ「e zezi」(エゼジ)だ。これはナポリ近郊のポミリアーノ・ダルコという、アルファロメオの大工場がある産業都市の、労働者や失業者、はたまた農夫や大学教授とか、世代としては68年世代の人達が始めた音楽・演劇グループで、工場のできた74年位からもう30年位ずっと活動が続いている。
労働者音楽集団、というと、なにやら辛気臭い、退屈なものを連想させるかもしれないが、さにあらず!(まあ、説教臭さは、あるかもしれないが…) これがまたビビッドな演奏で、どこのフェスティバルに出ても平気で受けそうな勢いだ。ナポリ周辺の、独自の民謡などを大切にしながら、歌詞は、政治批判や風刺などを込めて、バンバン替え歌をしまくる。演奏の場も、街頭集会や、地域の祭りなど、路上演奏、移動演奏はお手の物。
チャールズが用意してくれた映像では、エゼジ結成当初のステージで、まだ少年のダニエレが笛を吹いている激レアなシーンも! また、エゼジのパフォーマンスにおける、ビジュアルイメージというかイメージのトータル性、たとえば、伝統的な街頭劇のフォーマットを借りながら観衆を巻き込んでいくようすなど、韓国のマダン劇などとも共通性を感じられる興味深いものだった。
こうして、断片的であれ、映像で見てみると、ダニエレの音楽性の、社会性や、カーニバル的・祝祭的雰囲気の、そのコアな部分はエゼジと共有ないし継承していることが分る。また、エゼジ自体も、自分らのペースで、脈々と30年以上、延べ百数十人にわたって、地道に活動を続けていることを確認できた。
タランテッラ、タムリアータ、といった、ある程度、大文字の地域の伝承音楽が、しっかり存在する傍ら、労働や生活の現場における、地道なオルタナティブの活動も、集団的に継承されている。そんな環境から、現状をつねに挑発し、スパークするセーペの音楽。
とはいえ、もちろん、一般多数の人々は、もっとフツーのポピュラー音楽、文化を享受している。そこで、カギになるモダニズム、現代化で避けて通れないのは、やはりというか、アメリカ文化の影響だ。いうまでもなく、イタリアも第二次大戦の敗戦国として、戦後しばらく、アメリカをはじめとする連合国の占領にあった。ここで否応なくアメリカ文化の影響が登場する。チャールズが紹介してくれた、エレキやドラムなど、アメリカの影響を受けながら、歌謡はナポリ的という、50年代のナポリポップス。そこには、どこか、日本の歌謡曲や演歌、はたまた、初期の沖縄ポップスとも共通するような、ナツカシさ、既視感がある。そして、エゼジやダニエレら(だけではないだろうが)に再発見されるまで、タランテッラなどの伝統性と、現代性を架橋する要素として、戦後の典型的ポップスの流れが、支配的に存在した、と言えるのだろう。
実は、ナポリにも、まだ大規模な米軍基地がある。ただ、日本(基地の大半は沖縄だが)と違うのは、反米意識が常に強烈で、米兵は、うっかり街中に入って来れないくらいだし、イラク戦以降、大規模な反米デモが繰り返されたという。
その違いは、もちろん、端的に親米政権のスタンスの差であり、アジア地域の政治的緊張という環境があるにせよ、あらためて日本の戦後処理の問題の根の深さを感じざるをえない。
不安と希望。暗雲と、そして? 似ているが違う風景。そんな東京で、セーペの新譜を聴きながら、いっとき思いにふけるのも悪く無さそうだ。