大熊ワタル気まぐれ日記


2008年06月21日(土)久々にクストリッツァ(吉祥寺バウスシアター)

 エミール・クストリッツア&ノー・スモーキング・オーケストラ(NSO)来日記念のイベント、クストリッツァ・ナイトでのオールナイト上映前に、松山晋也、関口義人の両氏とともにトーク・イベントに出演した。
 実は映画の音は別として、CDなどでのNSOには、どうもピンとこない。ノリ、とくにドラムがドンくさい(伸びしろはあるだろうけど)。
やはり、自分には、NSOのバックグラウンドでもある、フォークミュージックの方に関心があるということか。とはいえ、トータルに見てクストリッツァは、やはり気になる人物ではある。

 トークでは、コソボ問題やNTAO空爆に触れようと思ったが、あまり突っ込めず。
 最近のコソボ独立関連の報道で、クストリッツァも一瞬TVに映っていて、あれっと思ったのだが、セルビア側の、コソボ独立反対運動の旗頭のようだ。ビョークの「デクレア・インディペンダンス」なんか聞かせたらぶち切れるかも。
 (最近読んだネグリの「未来派左翼」でも、コソボ問題に関連してクストリッツァが旧友として言及されていた。ところで、この本で、ネグリの「戦争論/非暴力平和論への批判」が目に付いた。日本の反戦・非戦論からは反論もあるのでは…)

 関口さん曰く、NSOは、実は外国向きのバンドで、セルビアでは、その英語表記が顰蹙を買う一方、前身バンドZabranjeno Pusenje(同じく「禁煙」の意味)が、袂を分かった創立メンバーたちにより存続し、音楽的洗練度ではNSOの比でないにも関わらず、現地では断然支持を集めているとのこと。
 家がムスリム系だったのに、最近セルビア正教に改宗し、ムスリム系の人々から反感を買ったり、何かとお騒がせなクストリッツァ。NSOのオープニング曲が、仰々しい荘厳な曲調(国歌?)だったり、次回公開作のポスタースチールには、セルビア国旗が振りかざされていたりと、今のところはセルビア・ナショナリズムがヒートアップの様子。(旧ユーゴ解体に伴う痛み・怒りの転写? たしかにNATOや米はひどかった)
 ともあれ、本人のHP、結構な情報量でなかなかのもの。主要な発言が英語でもアップされていて読み応えあり。ところで、最近は田舎の山中に「クストリッツァ村」(俺のチネチッタ?)なるものを開設したそうだ。金が唸ってるんだな〜。
http://www.kustu.com/w2/en:start

[link:43] 2008年06月25日(水) 15:57


2008年06月22日(日)・ピースミュージックフェスタ(上野水上音楽堂)

 慰霊の日の前日に、会場が取れたことで、すでに成功が予感されていたが、悪天にもめげず、なかなかの盛況・盛り上がりで、最後まで締まった、よいイベントだったと思う。
 沖縄ならではのサルサ・バンド、カチンバは、今回4人編成という縮小版ながら、期待を上回るパフォーマンス。思わず直々にCD購入。カチンバ最高!
 照屋政雄さんも、いつものひょうきんさではなく、ストレート&シリアスなMCで、襟が正される思いでしたが、歌のテンション・自由度はさすが。11月に東京でサポートすることになっていて、楽しみ。
 おなじみ寿のナビィちゃんからはショッキングな話が。旦那さんが1月に倒れて、その後、2度も危篤になったとのこと。なんとか持ちこたえて、今はリハビリ中だが、とても大変そうだ。具合が悪い、というところまでは、知っていたけど、そんなことになっていたとは、不明を恥じるばかり。彼とは、ナビィちゃんの旦那さんになるずっと前から、知り合いだった。とても男っぷりのよい、熱くて剛毅な編集者だ。復活を待つ!
 フェスの話に戻ると、寿や渋さなど、人気バンドの時間帯は、自分の出番の直前で、残念ながら、集中のためパス。見るのにもパワーいるからね。で、自分は、去年の辺野古に続き、久々ソウル・フラワー・ユニオンで参加した。ユニオンは辺野古を別として、実質8年ぶりくらいだが、何度もやった曲は体が覚えているようだ。
 「平和に生きる権利」。このバージョンではベストパフォーマンスだったかな。
 強い雨の中、1300人近い集客は、素晴らしいのひと言。

[link:44] 2008年06月25日(水) 15:56


2008年06月24日(火)慰霊の日・雑感

 慰霊の日が来ると思い出すことがある。小平霊園の添田啞蝉坊の墓に時々お参りに行くのだが、啞蝉坊の墓のお隣が沖縄の方のお墓なのだ。あるとき、何気なくそちらの墓誌に目が行って、さっと冷や汗が出た。幼児からお年寄りまで、何人もの一族の方が、同じ日に亡くなっているのだ。そう、もちろん、それは1945年6月のある日付である。

 ところで、沖縄といえば、実は沖縄返還にまつわる日米交渉の副産物であった日本の繊維不況は、わが家をも直撃したのであった。当時日米摩擦の焦点だった人絹製造の部分的廃止が沖縄返還の条件となったのだ。繊維メーカーの工場の現場管理職だった親父は、担当していた製造部門が消滅し、本社事務職へ転換。工場の主力部門で、部下も800人いたというが、全員が配置転換か、転職を余儀なくされた。
 各地を転々とした僕の故郷喪失の歴史は、沖縄とリンクしていたのだった。そんなことを再認識したのは、5月に祖母の葬儀があって家
族史を振り返る機会があったことに加え、ネグリの「マルティチュード」の一節、フォード・テーラーシステム〜ポスト・フォーディズムの転換が、1970年前後だったとの記述が目に入った…、いやストンと実にクリアに、頭に入ってきたのだ。
 そうか、わが家族の遍歴は、日米関係と産業史の掛け合わさった歴史のギヤチェンジを食らった、まさにその実例だったのか、と納得。
 「ディアスポラ」なんておこがましくて例えにもできないが、弾き飛ばされた感は確かにある。沖縄とともに必ず借りは返す決意。

[link:45] 2008年06月25日(水) 15:54


2008年12月31日(水)二つの我方他方〜篠田祭りとマサル祭り

 ずいぶん空いてしまったが、08年を振り返りつつ再開したい。

 12月8、8日の篠田昌已生誕50年記念「FIESTA de COMPOSTELA」はおかげさまで盛況かつ大好評でした。
 出演者も、それぞれ短い時間でしたが、ベストパフォーマンスの連発で感激でした。
 記念パンフも、今までまとまった篠田資料集がなかった分、なんとか一里塚を残せたのではないかと。
 ご希望の方は700円でお分けします。
 また、すでに新宿・模索舎には絶賛発売中です。また、下北沢イーハトーボ、中野・タコシェでも近日発売予定です。
 そして、大ニュース!?
 あの、パフアップのCDシリーズが配給のVIVIDSOUNDから全作再発の運びとなりました!(3月から2タイトルずつの予定)


 さて、FIESTA de COMPOSTELAの2日目のラストに忘れがたい出来事が起こったので記しておきましょう。
 ちょうど、三重・亀山でスペース「月の庭」を主催していたマサル(またの名をダンサー・歌舞伎昌三)が、末期ガンで、友人家族に見守られながら最後の時を迎えていたのですが、イベント初日に出てくれた、じゃがたらのOTOが、そちらに応援に行っていて、僕らのステージを電話ライブで、病床のマサルに聞かせてくれたのです。
 これには、前段があって、その直前に、マサルの大好きなソウルフラワーがやはりライブ会場の神戸から、電話で「満月の夕」を聴かせる企画があり、
それを見たOTOが、機転をきかせてくれて電話ライブ第二弾となったわけです。
 マサルは部位が膀胱だったせいか、最後まで上半身、意識がしっかりしていて、そもそも余命2年の宣告が、4年も頑張れたのですが、その晩も、ほとんどの内臓が機能停止しているのに、音楽に涙をながし口を動かして、最後まで命の踊りを燃やしきって、その直後、安らかにテイクオフ、拍手で送られたとのこと。
 篠田〜マサル、と二つの我方他方(アバンタバン)がリンクした夜でした。マサルの元気なうちに月の庭に遊びに行くことはできなかったけど、モノノケサミットで妙な踊りで楽しませてくれた君のことは忘れない。ありがとう、マサル!

[link:46] 2008年12月31日(水) 06:48


2009年06月24日(水)沖縄慰霊の日

 夏至も過ぎ、昨日は沖縄慰霊の日だった。
 東京にいると、ニュースや新聞を見ないと、気付かずに過ぎてしまうことかもしれないけれど、僕には、それなりに身近に感じられる日だ。
 僕なりに沖縄の人々や音楽などと親しんできたということもあるが、それとはまた別の理由のためでもある。
 
 時々、小平霊園にある添田唖蝉坊の墓参りをする。もちろん、唖蝉坊自身は直接、沖縄とのかかわりはなかった。しかし、彼のお墓のお隣さんが、ウチナンチュウの一家のお墓なのだ。一目で沖縄の人と分かる、典型的な沖縄の姓だ。
 まだ唖蝉坊の墓参りに行きはじめの頃、何気なく、そのお隣の墓誌に目が行ったのだが、そこに記されている簡潔な事実に、さっと血の気が引き、しばらく茫然としてしまった。お年寄りから幼子までの一家の何人もの人が、慰霊の日の直前に亡くなっているのだ。
 見ず知らずの「新垣さん」一家。どこでどうして命を落とすことになったのか僕は知らないままだ。それでも、毎年、慰霊の日が来るたびに、この一家のことを思い出さずにはおれない。
 そして、あれは井伏鱒二の『黒い雨』の中のセリフだったか、「どんな正義の戦争よりも不正義の平和のほうがまだましだ」という言葉が思い返されてくるのだ。

[link:47] 2009年06月24日(水) 03:58

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